2013年、前作「All We Love We Leave Behind」発売後少したってからのジェイコブの本音、人生における形成的な出来事と、破壊ではなく創造への彼の継続的なコミットメントを反映しているドキュメンタリー動画である。
Rungs in a Ladder: Jacob Bannon of Converge Documentary (Official)
この動画を流しながら読んでいってほしい。
名前はジェイコブ・バーノン。
名前をいうときは、いつもなぜか「バーノン♪」と歌っているように語尾が上がってしまうんだ。
どうやってココにたどり着いたかとか、そういうことを深く考えることは、最近まであまりなかったんだ。
物を作ったり、いろんなことをしたりして、いつだって前進することに熱中して来た。
だから今日いるこの場所にどうやってたどり着いたのかということは、ごく最近まであまり考えたことがなかった。
ネガティブなことでさえ、オレをポジティブなことへと導いてくれた。
もし音楽に出会わなかったら、妻に出会うことはなかっただろう。
そして、いろんなことが人生で起こらなかったら、音楽に出会うこともなかっただろう。
もし郊外のいい環境で育っていたとしたら、たぶん普通の家族だっただろう。
「友達が橋から飛び降りたら、お前も飛ぶのか」
と、よく人は言うが、俺はまさにいつもそんな感じだった。
なぜなら俺たちはバカだったから…
石切り場や電車の鉄橋に行ってはバイクでジャンプしてたね。
俺が10代のとき、飛び込んだ水の中にショッピングカートがあったんだ。
3階建てのビルからセメントにニードロップをくらわしたみたいに、膝が文字どりBOMB(爆発)したよw
興味深いのは、もしそういうことが起こっていなかったら、私の人生も大きく変わっていただろうということ。
あれは高校1年の終わりのころ。
(ヒザ爆発<ケガ>のせいで)何か月も学校を休む羽目になってさ、マジ困ったよ!
バンドも組んだばっかりだったし、ひとつのチームのように感じ始めていたし、「世界はオレたちのもの!」って感じだったから、
とつぜんそれが、すべて奪い取られてしまったんだ...
当時の俺にとって、どこにでも行けるということがとても重要だったんだ。
電車で街に出てコンサートを見たり、自転車でどこでもいきたいところに行ったり、スケボーしたり...
それがぜんぶできなくなったんだぜ….
それが、いろんな意味で俺の「思春期の終わりだった」のだと…
なぜなら当時それらが唯一、俺が好きなことだったから。
音楽が大好きだったし、カウンターカルチャーやサブカルチャーとしての、そういうスポーツが好きだったから。
当時の仲間は、そういう付き合いの人たちばかりだったから、ケガをしたとたん、みんな去って行ったよ。
そのころ既に、人に捨てられるとか、孤独になるとか、そういうことに問題を抱えていたし、もともと一人でいることが多かったから、ケガでツレ達が去って行ったことで、その問題が大きくなった。
十代のころは、もともと自分が育っていくことに対していろんな悩みがあるのに、俺は(ケガをしたことで)とつぜん、自分をどう扱ったらいいのかがわからない肥満の少年になってしまった。
4か月で20キロも太っったんだぜ!
10代だから、常に食べて、やりたいことを自由にしていたんだけど、
とつぜん歩けなくなってベッドで生活することになってしまってね。
そして、また動けるようになったら、だんだん痩せてきて、3年生のころにはもとの体型に戻ることができた。
その時の経験から、いろんなことが不安になったし、いまだに当時の心理的なダメージは続いている。
俺は肉体的には自分のことがあまり好きではない。
増幅された自己嫌悪のようなものがあって、鏡で自分の姿を見るたびに嫌で身震してしまう。
マジで嫌だ。
バンドのフロントマンとしてはすごく皮肉なことだけど、自分が写っている写真も好きじゃない。
そもそもフロントマンになんてなりたくてなったわけじゃないし….
ベースかドラムがやりたかったんだよね。
完全に匿名な存在になりたかった。それが私が目指していたゴールだった。
音楽はつくりたいけど、あまり人に見られたくはないんだよね。
いつも何かを作りたい、何かを起こしたい、と思っている。
可能性と活動的なエネルギーがあるとしたら、いつでも俺は活動のほうをとる。
何かが作れる可能性よりも、実際に何かを作るほうがいい。
ほかの何よりも、いつだってアートや音楽を信じてきた。
俺にとってそれは、どんなことでも耐えられる、空っぽの居場所みたいなものです。
もうこの世界にこれ以上ダメージを与えたくはない。
世界はすでに自滅的で、この地球は毎日、人間をきびしく取り締まって不正な者を排除しようとしている。
俺は自分が愛し、大切にし、尊敬するものを傷つけたくはない。
自分ができる方法でお礼がしたいんだ。
人間には、生まれてきただけで背負うべき責任があると思う。
見物人として批判するだけの人間にも、なろうと思えばなれる。
でも批判するだけの人生なんて、責任回避だと俺は思うんだ。
俺はこの世に自分のポジティブな爪痕を残したいと思っている。
理由はわからない。それは心理学者に聞いてみたほうがいいと思うww
でもとにかく、ポジティブな爪痕を残したい。
ネガティブな経験やポジティブな経験から、アートを生み出したい。
そして世界と共有したい。
そして人々に、私が感じた心理的な負担から、ポジティブな何かを得てほしい。
アートと音楽は、俺にとっていつも「自分はひとりではない」と感じさせてくれるものであると、
とくに辛かった時期に、友達がいること、そして自分がいるべき場所があることを教えてくれた。
必ずしも他人に注目されたり、受け入れられたりすることが目的ではない。
自分の中に平和を見つけることが目的なのだ。
努力しているが、それはまだ見つかっていない。
事実、私は35歳(インタヴュー当時)で、まだステージで叫ぶことで生計を立ててるし、とても不安なときには、全身全霊を曲に込めて歌ってる。
それが健全なことなのか、それとも不健全なことなのはわからない。
今現在、俺はとても健康だ。
ポジティブで、そしてインスパイヤしてくれるような仲間とだけつるむようにしている。
幸せを運んでくれたものに、心から感謝しているが、
クリエイティブな面でもっと大きな何かを探し続けている。
俺は今、自分がいる状況に満足してる。
俺の名前はジェイコブ・バーノン。
まだやる気十分で、まだ怒っていて、まだ変化を起こそうとしてる。
ジェイコブさん、俺、あんたに一生ついてくよ!!!
あなたはこのドキュメンタリーを見て何を感じましたか?
では!
河内野